ninomiyasontoku
【3】尊徳先生はおっしゃった。
人道はたとえば、水車のようなものだ。
その形、半分は水流にしたがい、半分は水流に逆らって回っている。
まるごとに水中に入れば回ることができず流れてしまうであろう。
また水を離れれば回る事はない。
仏教の僧侶のように、世を離れ、欲を捨てたのは、たとえば水車が水を離れたようなものだ。
また凡俗の者が教義も聞かず、義務もしらないで、私欲一偏に執着するのは、水車をまるごと水中に沈めたようなものだ。ともに社会の用をなさない。
だから人道は中庸を尊ぶ。
水車の中庸は、よろしいほどに水中に入って、半分は水にしたがい、半分は流水に逆のぼって、運転が滞らないところにある。
人の道もそのようで、天理にしたがって種を蒔き、天理に逆らって、草を取り、欲にしたがって家業を励み、欲を制して義務を思うべきである。